医師×IT起業のパイオニア メドピア・石見陽に聞く起業までの道のりとヘルスケアスタートアップの展望【前編】

「集合知により医療を再発明する」をビジョンに掲げるメドピア株式会社。ITで医療現場における課題を解決するため、循環器内科の医師として勤務する傍ら、石見陽氏が2004年に創業した。最近では医療業界からスタートアップへの挑戦も増えつつあるが、とりわけIT×医療の分野で起業することが珍しかった当時に起業し、上場を果たした石見氏は間違いなく医療スタートアップで起業を目指すロールモデルの一人であろう。

前編では医師として起業するに至った理由と時代背景、ビジネスモデルを着想したきっかけ、創薬からITまで増えつつある医師×ビジネスの現場について伺った。

(構成:長谷川リョー

[石見 陽(いわみ よう/Yo Iwami)]
メドピア株式会社 代表取締役社長(医師・医学博士)
1999年に信州大学医学部を卒業し、東京女子医科大学病院循環器内科学に入局。2004年12月にメドピア株式会社(旧 株式会社メディカル・オブリージュ)を設立。2007年8月に医師専用コミュニティサイト「MedPeer(旧 Next Doctors)」を開設し、現在国内医師の3人に1人が参加する医師集合知プラットフォームへと成長させる。
2013年に企業家表彰制度「EOY 2013 Japan」チャレンジング・スピリット部門でファイナリストに選出され、2014年に東証マザーズに上場。
現在も週一回の診療を継続する、現役医師兼経営者。「世界一受けたい授業」や「羽鳥慎一モーニングショー」など各種メディアに出演し、MedPeerに集まる医師の声を発信中。

医師として起業するに至った理由と時代背景

ーー2004年にメドピアを創業されるわけですが、まずはじめに起業されるきっかけ、当初から抱いていた問題意識についてお教えいただけますか?

石見陽(以下、石見):実は創業前にGCP(グロービス・キャピタル・パートナーズ)の仮屋薗さんにお会いしているんです。最初に会った頃はまだ自分も本気ではありませんでした。当時はちょうど医師になってから四年ほど経った頃で、世の中に起業ブームの兆しが見えつつある状況。1円から株式会社を作れるようになる法改正で国が起業を後押ししていたり、ホリエモンが注目されていました。

自分はもともと東京女子医大の循環器内科に勤務していて、心臓のカテーテルの専門家になろうと思っていたんです。しかし、2001年に起きた東京女子医大事件によって特定機能病院という区分が剥奪されてしまいました。患者さんがそもそもいない状態になってしまったんです。それがきっかけで自分も東海大学に研究で出向。その辺りから時間に余裕が出たので、異業種交流に誘ってもらって、参加するようになりました。

ーーどなたに誘われたんですか?

石見:再生医療の分野で起業していた医師の先輩ですね。その方が異業種交流会に連れて行ってくださって、当時は医師だというだけで大事にされました(笑)。今ではあまり珍しくないかもしれないですが、当時医師がそういった交流会に出ることがあまりなかったので。今振り返ると、自分も性格的に新しいことをするのがきっと好きだったんです。好奇心も強いですし、人と繋がったりするのもそれなりに好き。その場に定期的に行くようになり、自分もサイドビジネスで事業を始めてみることにしたんです。それでスタートしたのが医師に特化した人材送客ビジネスの「医局@人事(現在のMedPeerキャリア)」。いきなりBtoBのビジネスを始めたものだから、最初は名刺交換の仕方もよく分かっていませんでした(笑)。

ーー臨床と研究の両方をやっていても、そうした慣例はないんですね。

石見:全くやらないですね。医師はけっこう社会常識も知らないまま大人になるので、そんな中でいきなり企業相手に営業というのは、それなりに最初は苦労しました。でも、立ち上げてから、2年目に多い月で300万円ほど稼ぐようなスモールサクセスにはなったんです。それでも自分は大学院での研究が終わったあとは、臨床に戻るつもりでした。ただ、当時は”医療不信全盛期”で、医療訴訟件数が一番多い年(2004年)でした。そこで自分の中で解決したい問題意識が生まれたんです。

自分たち医師は日々真面目に臨床をやっているつもりでも、世間では「白い巨塔」のようにお金や権力重視のようなイメージを持たれている。ここにギャップを感じていたのが一つ。もう一つあった問題意識は、医師の横のつながりの少なさです。医師の世界は少なからずヒエラルキーが強い側面があり、自分の医局の中で上下関係がバシッと決まっているので、横との交流があまりありません。

当時、「トータルファミリーケア(TFC)」というメーリングリストがありました。一人の医師が主宰していたのですが、2,500名ほどの医師が集まっていたんです。そこにはヒエラルキーもなく、お互いがプロとしてフェアに意見交換をし、症例についてディスカッションしていました。あくまでも患者のことを真摯に考える、とても風通しのいいメーリングリストだったんです。絶対にこうしたものが必要だと思いました。

ーーそれは非営利でやられていたんですか?

石見:そうです。それが自分の起業にもつながるのですが、一人の先生に依存してしまっていたんですね。「お金儲けというのは汚いことなので、メーリングリストに広告は絶対に入れません」と宣言していました。それはそれで美しいですが、継続性という意味で疑問が残ってしまいます。そして、運営されていた先生が亡くなってしまったことをきっかけに、メーリングリストの雰囲気も変わっていきました。

この過程を見ていたことと、SNSの隆盛を見ていたことが重なったんです。2006年にmixiが上場しますが、コミュニティサービスがビジネスとして成立することをまずそこで知ったんですね。先ほど触れたメーリングリストは情報が流れていってしまいますが、横でつながりながら情報を蓄積できるという点でも、”mixiの医師限定版”が絶対に必要だと思いました。かつ、それをボランティアではなく、あえて営利でやることにしたんです。

医師のコミュニティサービスである以上、臨床医を辞める選択肢はなかった

ーーボランティアにすることで非常に属人性が高まってしまうので、それを避ける形で、継続的にできる座組みにしたということですね。

石見:そうですね。mixiの中にも実は医師コミュニティがあったのですが、どうしても段々と薄まってしまう。医師に相談したい人の割合がどんどん増えてきて、それに対して医師の数が少なくなるので、医師も忙しくなって、次々に去ってしまったんです。すると、いつの間にか”医師に興味がある人のコミュニティ”になってしまう。そうであれば、医師に特化したSNSを作ってしまおうと思ったんです。

ーー立ち上げまではあくまでも研究に軸足があって、副業としてビジネスをやられていたということですよね。どこのタイミングでメインとサブが逆転されたんですか?

石見:おっしゃる通り、最初は研究がメインで、週のうち1〜2日間をビジネスに充てていました。mixiの医師限定版のような形で「MedPeer(メドピア)」というコミュニティサービスをスタートするときは、別の事業会社と提携していました。いわゆる事業提携の二社連合のような形です。そのときには巻き込む人も増えていっていましたが、それでも自分はアドバイザー的に関われると思っていたので、まだ覚悟を決めていませんでした。

ある合宿のときに、「石見さん、いつになったら本気でやるんですか?」と問われたことがあったんです。そこから一週間ほど本気で考えました。結論として、今も続けているスタイルですが、週に一度は臨床医として働きながら、残りは全て会社にコミットすることにしました。そのときから今でも臨床医を続けているのは、医師の臨床をサポートするためのコミュニティサービスをやる以上、自分が現役の臨床医としてサービスを利用し、現場のニーズをつかむことが大事だと思っているからです。

当時は人脈もまったくないなかで、細い糸をひたすらたどっているような感覚です。とにかく色んな人にたくさん会って、そのなかで本能的に「この人にはついて行った方が良い」と思う人には食らいつくようにしていました。そのうちの一人である経営者の先輩に、「パブリックなのかプライベートなのか、中途半端な会社が周囲に一番迷惑をかける」と言われたこともビジネスへのコミットを決めたきっかけでした。そして「このタイミングで本気でやろうと思います」と報告し、IPOを目指すことを決めたんです。

ーー細い糸をたどられていたということですが、最初のメンバーはどのように集められたのでしょうか。メンバーを何をもって口説いたのか、もしくは何が合う人は採用し、そうじゃない人は採用しなかったのか。最初のチーム作りはかなり難しいと思うのですが、今から振り返ってうまくいった部分や最初に気にされていたことを教えてください。

石見:言語化は難しいのですが、やはり話を一貫させて、自分に嘘をついていない状態を作ることが大切だと思います。自分が信じていることをそのままぶつけて、それが相手に届くかどうか。もう一つとしては、シンプルに人の悪口を言っている人には近づかないようにしていました。

ーーそれはシンプルで分かりやすい基準というか、今日から実践できることですね。

石見:その人がいないところで陰口を言っているということは、「僕のことも言っているんだろうな」とどうしても思ってしまいますし、それくらいの想像力がないのは違うと思いますので。

創薬からITまで増えつつある、医師×ビジネス

ーーメドレーの豊田(剛一郎)さんを筆頭に、最近ではお医者さん×ビジネスも増えつつあるかと思います。こうした背景には何らかの環境の変化があるのか、もしくは石見先生のようなロールモデルがいたからできそうだと思ったのか、その辺りの変化をどのように捉えられていますか?

石見:環境という意味で、ITならば気軽に起業できるようになったことも大きいと思います。あとは僕の存在もそれなりに影響を及ぼしているとは思います。現役の医師が上場できたということは、医師のキャリアの一つのあり方として、ロールモデルになれたのではないかと考えています。

ーーバイオ(創薬)系には参考になる方もいらしたかもしれませんが、まさにIT分野のハードルが下がったということで、石見先生が背中を追いやすいIT×ドクターのロールモデルの一人なのだと思います。

石見:医療、金融、農業辺りはマーケットが大きいですが、規制もある。規制が緩和することでベンチャーが伸びるのは必然だと思いますが、今後はもっと増えていくでしょうね。

ーー逆に医師側での閉塞感のようなものはあるのでしょうか?

石見:それもあるかもしれません。僕の同世代である40代前半の医師にとってはポストがだいぶ埋まってきてしまっているのが現状です。そして、「キャリアプラン」といった言葉を知らない人すら多い。上が詰まっているので、行き場がなくなりつつあるんです。昔までは起業や基礎研究に行くことは、臨床医として一流になることを諦めた場合の選択肢と見られることが少なくありませんでした。

ーーメインストリームじゃなかったということですね。

石見:最近の医師で起業している人たちを見ると、今では臨床医としても活躍できただろうけど、別の道を見つけて起業に向かっているという印象があります。

後編ではマイナスをゼロにする医療と、ゼロからプラスを生み出すビジネスの本質的な違い、収益化までの道のり、医療×起業のエコシステムを広げるための取り組み、今後の展望を語っていただいた。