現場のOJTを動画で簡単に。“元食品工場長”が立ち上げたピナクルズが挑む、「現場教育のDX」

グロービス・キャピタル・パートナーズ(以下、GCP)は、未だデジタル化が進んでいない“レガシー産業”にイノベーションを起こすスタートアップへ積極的に投資を行ってきた。

2020年6月、GCPは、ユーザーが簡単に現場教育用の動画マニュアルをつくれるシステム『tebiki』を提供するピナクルズへの投資を実行した。

『tebiki』は、工場や倉庫、介護施設など「ノンデスクワーカー」が働く現場向けサービス。普段のOJT動画を撮影し、SaaS上にアップロードすれば、動画マニュアルを簡単に作成・管理できる。どの現場でも発生する「新人が育たない」「ノウハウの属人化」という課題に対して、動画というアプローチから向き合い、現場教育のDXを目指している。

本記事では、ピナクルズ代表取締役の貴山敬氏と、投資担当であるGCPの南良平氏にインタビュー。 “元食品工場長”の経歴を持つ商社出身の連続起業家・貴山氏が、現場教育で苦労を重ねた経験から、「工場長時代の自分が欲しかったシステム」で現場変革に挑むまでの軌跡を語る。

(取材・構成:石田哲大、写真:高橋団、編集:小池真幸

“元工場長”だからこそ切り込める、現場教育の課題

──「現場教育」という領域に取り組んでいるスタートアップは、あまり多くない印象を受けます。これまでに類似したサービスはなかったのでしょうか?

ピナクルズ株式会社代表取締役 CEO 貴山敬
慶応大学総合政策学部卒業後、三菱商事㈱にて事業投資を担当し、食品メーカーを買収して取締役副社長兼工場長に就任。その後、旅行C2Cサービスで起業して事業譲渡、習い事C2Cサービスの取締役就任と事業譲渡を経て、2018年3月に二回目の起業。海と山とキックボクシングが好き。

貴山:類似サービスはありますが、細かい現場感覚が分からないとプロダクト設計は難しいと思います。とりあえず参入したものの、想像以上に難しいことに気づき、撤退していったケースも多いと思います。

『tebiki』を利用するのは、工場や倉庫、介護施設などで働く「ノンデスクワーカー」です。彼らがどんな業務をしていて、何に困っているか理解できなければ、現場に定着するシステムはつくれません。

一方で、私には現場経験があるので、細かい感覚が想像しやすい。新卒入社した三菱商事で、食品工場長を経験したんです。現場ではたくさんの課題に直面し、今でも「もっと改善できたのではないか?」と思い返すことがあります。『tebiki』は、工場長時代の自分が欲しかった理想のシステムです。

株式会社グロービス・キャピタル・パートナーズ シニア・アソシエイト 南良平
前職である大和証券にて未上場企業に対するIPOアドバイザリーや、主に電機セクターの上場企業に対するファイナンスやM&A等の提案及び執行サポートに従事。2018年1月、グロービス・キャピタル・パートナーズ入社。慶応義塾大学経済学部卒、米国カルフォルニア大学バークレー校MBA修了。

南:私も投資を検討する際に、「こういうサービスって他にもあるのでは?」と思って調べてみたんです。でも、同じようなアプローチをしている有力な競合は見当たらなかった。現場教育が抱える課題に、動画という手段でアプローチしていくのは穴場でした。

いま『tebiki』はエンタープライズ顧客からも大きな反響があり、2019年8月に正式リリースされて以降、次々と導入が進んでいます。貴山さんの「元食品工場長」というユニークな経験が、現場の課題に鋭く切り込む、解像度の高いプロダクトを生んでいるんです。

──導入先企業からはどういった点が評価されているのでしょうか?

貴山:評価されているポイントは、誰でも簡単に使えることです。動画を管理する現場責任者はITに馴染みが薄いことが多く、どれだけ心理的負担を低くできるかが肝です。

「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんが、「簡単に使える直感的なUI」こそ最重要なんです。なぜなら、現場教育のDXにおける最大のライバルは、「エクセルで作ったマニュアル」だからです。エクセルより操作が簡単で使いやすいと思ってもらえなければ、なかなか今までのやり方を変えてもらえず、現場に浸透しません。

こうした点が評価され、小売、製造、物流、介護、飲食業界などの業界の企業に導入いただいています。

──導入企業は業界横断で、多種多様ですね。市場規模はどれぐらいだと考えているのでしょうか?

貴山:市場規模は「現場のDX」という文脈で1.5兆円だと言っています。しかし正直、なにが適切な数字なのかは分かりません。市場規模が推定しづらいので、現場理解が浅いまま参入する競合は、「この市場は本当に存在するのか?」と不安になると思います。

南:市場規模は切り取り方で変わるんですよ。「法人研修」と考えると5,000億円。「eラーニング」と捉えると2,000億円ぐらいです。正確な市場規模は推定しづらいですが、業界を問わず多くの「現場」にニーズがあることがポイントですね。

貴山:『tebiki』は、現場管理全体のコアシステムになれるポテンシャルがあると思っています。「現場教育」と聞くと、業務全体のほんの一部を指すように聞こえますよね。しかし、現場管理の目線から考えると、「現場教育」は現場運営そのものと言えるほど重要です。現場管理とは、オペレーションを仕組み化し、改善していくことであり、マニュアルはその根幹です。だから私は「現場のDX」という大きな枠組みで、市場規模を捉えているんです。

  

新人教育での「後悔」が、『tebiki』の原点

──貴山様は「元工場長」だとお聞きしましたが、どういった経緯で工場長を務めるようになったのですか?

貴山:前職の三菱商事が食品メーカーを買収した際に、工場長として出向することになったんです。某有名デリバリーピザ屋さんも使う、市場シェア1位の業務用チーズ工場でした。食品工場は「言われたことを100%やりきる」がモットーの、規律を重んじる世界。毎朝7時半から白衣を着てラジオ体操をしていましたね。

──出向先のチーズ工場で現場教育に苦労された、ということでしょうか?

貴山:おっしゃるとおりです。食品工場では、自動運転機械を使って生産ラインを動かします。私が困っていたのは、この機械を動かすオペレーターの教育です。

食品工場の機械はよく壊れるのですが、オペレーターが故障時の修理・メンテナンスも担当します。この修理作業は、すごくプレッシャーがかかるんです。というのも、機械の故障中は生産ラインが停止し、スタッフ全員の動きが止まるからです。オペレーターは、経営者・現場スタッフから「早く生産ラインを復旧してよ」と無言の圧力を受けながら、素早い対応を求められます。

すると、経験豊富なベテランオペレーターにばかり対応依頼が集中します。ここで発生するのが、「新人が育たない」問題です。ベテランがどんどん経験豊富になる一方、新人はスキルも経験も給料も上がらず、つまらなくて辞めてしまうんです。後任が育たないことで、ベテランにはさらに業務負荷がかかります。

私が工場長時代のベテランオペレーターは、あまりにも働きすぎでいろいろ問題を抱えてしまいました。彼は「貴山さんのせいじゃありません」と言ってくれたのですが、私は彼に負荷をかけたことが、ずっと心残りで。「この問題は防げなかったのか?」。その問いが、『tebiki』をつくる原点でした。

──『tebiki』があれば、どのようにオペレーター教育の課題を解決できるのでしょうか?

貴山:『tebiki』が解決する課題は、主に2つです。現場の難しい技能伝承はOJTでやりづらい点と、紙のマニュアルでは動きを伝えるには不完全な点です。

技能伝承は、経験者が新人につきっきりで教えれば可能です。しかし、多くの現場は忙しく、教育にリソースを割く余裕はほとんどありません。また故障対応などは突発的かつ緊急性が高く、OJTで教えるのはさらに難しい。

そこで、多くの現場は仕方なく紙のマニュアルを教育に採用します。しかし、現場の色々な動きを、分かりやすい文章に落とし込むのが難しい。さらに現場オペレーションは頻繁に変わるため、常に更新しつづけるのも容易ではありません。

動画マニュアルは、「動き」のある現場の説明に最適です。また『tebiki』では、撮影した動画に後から喋りを吹き込むと、「自動字幕制作」機能でテキストを入力してくれます。現場の人はキーボードでの文字入力を嫌がるのですが、喋りは喜んでやってくれます。直感的に動かせるUIで、現場の人が簡単にマニュアル内容を更新できるから、新人を早く一人前にできる仕組みが成立するのです。

南:人手不足の常態化というマクロな変化のなかで、現場の新人教育や即戦力化は必要不可欠です。また従業員の定着による採用・育成コストの低減や現場のミスで起こる潜在的な損失の防止など、どの企業にとってもお金を払う価値がある、ポテンシャルの高いサービスだと思っています。

  

「このまま終わっていいのか」──挫折から何度も立ち直る連続起業家の軌跡

──ピナクルズを創業する前に、以前に一度起業されているとお聞きしました。工場を辞めたあとすぐに起業されたのでしょうか?

貴山:いえ。三菱商事を辞めたあとは、1年間カリフォルニアでサーフィンをしていましたね。遊んでいたように聞こえますが、毎日8時間ストイックに海に入ってました。波がない日は、なぜか気に入った国立公園を、1日30キロ走ってましたよ。ちなみに、カリフォルニアにある「ピナクルズ国立公園」が社名の由来です(笑)。

波乗りする日々は楽しかったのですが、「俺がビッグウェーブをメイクしても、喜ぶのは俺だけ」と、飽きてしまいました。ふと周りの同級生を見ると起業家ばかりで、羨ましくなって「俺も」と1社目を起業したんです。でも、なかなか思うようにいかなくて……。当時手掛けた旅行C2Cサービスはなんとか事業売却までこぎつけたのですが、満足いく結果が出せなかったと思っています。

──1社目の売却後は、どのようなことをされていたのでしょうか?

貴山:その後、悔しくてもう一度起業しようと、事業化できそうなアイデアを探しに老人ホームでボランティアしていたんです。でも「ちょっと難しいかもしれない」と思いはじめた時に、現在エンジェル投資家で、元コーチ・ユナイテッド代表取締役の有安伸宏から「ウチに取締役として来ない?」と声をかけられて。そのときちょうど寂しくて、ふらっと入ってしまったんです(笑)。

当時コーチ・ユナイテッドは子会社上場を目指していたんですが、結局メイン事業はクラウドワークスに譲渡して、親会社のクックパッドに吸収合併されました。これは不本意な終わり方だったので、「このまま俺は終わって良いのか」と思う一方、「でも、もう一度起業するのは大変だよな」と葛藤していたんです。

再起業の決断は、ピナクルズ共同創業者でエンジニアの渋谷和暁の存在が決め手になりました。渋谷はコーチ・ユナイテッドの同僚だったのですが、本当に大変だった撤退業務を、逃げず一緒にやり遂げてくれました。彼のような「困難から逃げない人」と一緒に起業できるチャンスは、もう人生で二度と無いだろう。そう思って「一緒に起業しよう」と誘ったら、「うん!」と承諾してくれたんです。2018年3月頃、ピナクルズ創業時のことです。

──その後、2019年8月に『tebiki』を正式リリースされていますよね。創業時から現在に至るまでに、なにか大変なことはありましたか?

貴山:色々なことがありましたがたくさんの人に助けて頂いたおかげで、これまで順調に来ています。最初から「動画で現場教育」をテーマに起業して、方針が変わったことはありません。

また、リリースして初めての契約がいきなり大企業でした。「やばい、見積書のフォーマットがない」と慌てたり、『tebiki』の機能も「Dropboxとどう違うの?」という状態だったのですが、リリース直後からすごく手応えがありましたね。

2020年にマーケティングのアクセルを踏み始めてからは、リードの数が急激に増えています。いまは新規問い合わせに対応できる人手が足りず、営業の採用を急いでいる状況ですね。

──ここまで順調に事業を進めてこられたのですね。2020年6月にはGCPから資金調達を受けていますが、どのような経緯で投資に至ったのですか?

貴山:南さんと初めてお会いしたのは、2020年3月頃です。新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため、最初の緊急事態宣言が発令される直前でした。有安さんから紹介を受けたのですが、面談はずっとZoomで行いましたね。

南:オンラインでの投資検討にはやりにくさがあるのは事実ですが、初回の面談で貴山さんの話を聞いたら、「これは投資したい!」と思えたんです。

印象的だったのは、貴山さんの発言・所作から感じるプロダクトや施策に対する「解像度の高さ」です。総合商社で食品工場長になり、起業して1社目を売却。その後スタートアップのマネジメントを経験し、もう一回起業にチャレンジしている。このユニークかつ深い経験が、未解決だった課題を的確に捉えたプロダクトを形成している。GCPは投資判断に比較的慎重なベンチャーキャピタルなのですが、初めてのZoom面談から弊社パートナーの今野とも意見が一致して、そこから可能な限り全速力で投資を進めました。

──ちなみに、お二人が直接お会いするのは何回目になるんでしょうか?

南:2回目です(笑)。一度だけ投資後に会食をしたのですが、あとは全てオンラインです。今では慣れてきましたが、コロナ禍らしい投資案件でしたね。

  

現場ノウハウのデータをもとに、「現場教育のDX」から「人事評価のDX」へ

──GCP様から2.5億円の資金調達を受けたことで、より一層、事業拡大に向けてアクセルを踏んでいくタイミングに見えます。今後の事業展開は、どのように構想されているのでしょうか?

貴山:ピナクルズは「動画マニュアル屋さん」だと思われがちですが、目指しているのは「あらゆる現場ノウハウをクラウド化して保有する、データベース企業」です。現在は、現場ノウハウを動画データという形で蓄積しているにすぎません。

「現場教育のDX」を実現するデータベースには、動画データだけでなく、テキストデータと社員スキルのデータが不可欠です。そもそもシステムは、「この動画は何を意味しているのか」を判断できません。字幕などテキストデータが動画に入力されることで、初めて動画内容を認識できるのです。加えて、「どの社員が何をどれくらい出来るか」という社員スキルのデータが合わされば、「いまこの人は、この内容を学ぶべきです」といった教育カリキュラムを提案できます。ここまでが短期的な「現場教育のDX」が目指す姿です。

そこから先に考えているのは、「人事評価のDX」です。キャリア観点では、「どんなスキルを持った人を、どこに配置するか」が、教育よりも重要だと考えています。しかし、いまは「そろそろあっち担当してみるか」と工場長の一声で異動が決まるなど、社員のスキルや歩みたいキャリアを十分考慮しない配置が行われている。

現場のノウハウを動画・テキストのデータで明文化できれば、「この社員は何ができる (できない)」と、スキルを評価できるようになります。すると、「この社員にはこの業務を任せましょう」と、管理者に適切な配置を提案できるようになる。これが中期的な目標として掲げる「人事評価のDX」です。

──そのビジョンを実現するために、どのような人を採用していますか?

現在たくさんの企業からお問い合わせを頂いており、営業CSが全然足りていません。もちろん、組織全体が急拡大中なのでエンジニア/デザイナー/マーケティング/コーポレートなど全職種で募集しています。

一緒に働きたいのは、現場教育の課題解決に共感してくれる、現場が好きな人ですね。OJTや社員教育で苦労した経験がある人はピッタリです。その上で、「やり抜く力」を持っている人を採用したいです。手取り足取りは教えられませんし、そのなかでも覚悟を持って物事を進められる人に来て欲しいと思っています。

──最後に、ピナクルズで働く魅力について語ってください。

貴山:現場を変えていける手触り感を持ちながら、急成長中の組織で裁量権を持って働けるのがピナクルズの魅力です。

また私は工場長時代に規律を重視する組織を経験したからこそ、「人のパフォーマンスは管理では最大化しない」と強く思っています。ですから、細かいルールは極力なくして、社員の裁量に任せる方針にしています。今はまだ組織が小さく自由度が高いので、デザイナー・エンジニア・セールスが一体となって文化をつくっていけることも魅力ですね。

南:僕は貴山さんとピナクルズのチームに対して、絶対的な信頼感や安心感を持っています。一度やると決めてからのスピード感やコミット力が凄いんです。プロダクトもきちんと市場のニーズを捉えているので、この分野でリーディングカンパニーになるポテンシャルがあります。今も着実に成長しつづけていますが、今後もっと大胆に攻めていくチャレンジを期待していますし、GCPとしても全力で応援していきたいと思っています。

(了)